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『ももとの別れ5』 

これまで、ももの病名は書いてきませんでしたが、
術後の病理検査の結果、
くだされた診断は、
今まで聞いたことがない、
『血管肉腫 』という病でした。

非常に進行が早く予後のよくない病です、
余命は短くて平均2ヶ月、
治療も、抗がん剤の効きにくい病です、
仮に抗がん剤投与しても
余命を伸ばす程度、
完治の難しい病です………、
信じがたい事実を
次から次へと告げられ、混乱、
私一人ではこれらの内容が
なかなか頭に入って来ず、
いつも診察の度に
同行してくれていた、
大学の春休み中の娘が、
気丈に、事細かに
メモを取ってくれていました。

自分でも信じられず、
ネットで調べると、
やはり、良いことなどひとつも
書かれていませんでした。

そんな診断を受けながらも、
本当にそんな短い余命なの?
というくらい、
術前と同じくらいの状態に、
復活してくれたももさん。

その後の1月28日も、
いつもの公園にお散歩に行き、
元気に、
色々なわんちゃんや飼い主さんと
交流し、
「えー本当に12歳なのぉ?
元気ね~!長生きするわよー。」
なんて言われてたのに、
翌日の1月29日、
急激に、元気がなくなり、
そして、震え出し、明らかに体調が悪くなり、
病院に連れて行ったら、
腫瘍が内臓の色々な所に転移し、
またそこから出血し、
貧血を起こしているようだと。

もう手術しても、同じ事を繰り返すだけとのことで、
止血と血管強化する注射をしてもらい、
果たしてこの注射の効力がどのくらい続くかわからないが、
あとはももさんの生命力とのことで、
一緒に帰宅。
20190129momo.jpg
(2019年1月29日撮影)

体調が悪くなる前は、
夜は夫のベッドの足元で寝ていたけど、
体調が悪くなってからは、
夫のベッドにさえ行かなくなり、
リビングのソファーから動かなくなったので、
20190201momo.jpg
(2019年2月1日撮影)
私は、リビングに自分の布団を敷いて、
もものそばで寝ていました。

しばらくすると、
娘も自分の布団を部屋から引っ張り出して来て、
私と一緒にもものそばで寝るコトに。
20190206momo.jpg
(2019年2月6日撮影)

2月3日、
1月20日に2週間分頂いていた、
消炎鎮痛剤がなくなるのと、
この頃は、全くと言っていいほど、
食べ物をほとんど受け付けず、
少しでも食欲が出るようにと、
食欲増進剤も処方されており、
201902レメロン錠
この日、それらの薬を頂きに受診、
血液検査をして頂くも、
当然のことながら、よくなっているわけもなく、
それまであった、
検査項目が、以前より、減っていました。

いつもなら、診察の最後に、
次の診察の予定日を決めるところ、
この日はなかったことに、
お会計の時に気付き、
受付嬢に、担当医に確認してもらい、
しばらくしてから、
『では、1週間後の2月10日で。』
と言われ、
お薬を1週間分頂いて帰ったのでした。

そして、日に日に、
20190205momo1.jpg
命の灯火が消えそうな状態が
20190205momo2.jpg
続きながらも、私は、
20190205momo3.jpg
自宅で自分なりに、
20190205momo4.jpg
色々と手を尽くした。
20190205momo5.jpg
(5枚すべて、2019年2月5日撮影)

でも、容赦なく、
ももの病状は悪化の一途を辿り・・・。

そして、2月10日に診察の予約をしていて、
薬もなくなってしまう予定なのでしたが、
2月9日は、雪の予報。

雪が降ったら、そのあと、アイスバーンになってしまう・・・。

そうなると、雪の中、運転していけないので、
私は、慌てて、2月8日の午後、
病院に電話をし、
その旨を受付嬢に説明し、
2月8日の夕方、
娘にももを家で見ていてもらい、
私一人、病院に向かい、
その先1週間分の薬を取りにいったのでした。

今から思えば、
この時、担当医は、わかっていたのだと思います。
もう、この先、ももは長くはないと・・・。

でも、私は、この時、
いつも以上に、毎日を必死に、
ももとももの病気と闘って生きていたから、
見えていなかった、
わかっていなかった、
いや、信じたくなかったというのが正解なのかな・・・、
この後、ももとの別れがあんなにも早く来てしまうとは。

この続きは、『ももとの別れ6』へ。
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[2020/06/18 11:47] もも | トラックバック(-) | CM(0)

『ももとの別れ4』 

その後、ももは、
ご飯も食べるし、
お散歩も行きたがるし、
うんち、おしっこも順調で、
元気そうだったので、
本当なら、年末に、毎月トリミングをお願いしていた、
以前、このブログにも度々登場したドッグサロンから、
トリミングいかがですかぁ~とお電話を頂いていたのですが、
丁度、体調を崩し、入院中だったため、キャンセルさせて頂いていて、
今回は、担当医にもトリミングOKのお許しを得ていたので、
(引いた犬おみくじにも『散髪したいワン』と書かれていたし)
1月17日にこちらから、トリミングを依頼し、
きれいにしてもらって、帰ってきました。

そして、
そろそろ、薬がなくなるし、
今後の治療方法を、
家族で話し合った結果を、
担当医に伝えるために
診察がてら、
病院に連れて行ったのが1月20日だったか…。

その際、一緒に行った娘が、
診察中に、たまたま、見つけた、
皮膚のデキモノを、
採取して調べて頂いたところ、
皮膚転移かも…
と言われました。

病院にいるときは、
診察中に見つかって、
調べてもらえてよかった、
娘にも、
よく見つけてくれた、
ありがとう!
と言っていた私でしたが、
その後、家に帰った後、
何だかとっても不安な気持ちになり、
過度な期待はしないと誓っていたのに、
こんなにも急速に、
病院に行く度に、
次から次へとももの病状が悪化しているのかと、
現実を目の当たりにし、そして、
心打ち砕かれ、
本当にあの時は、メンタル崩壊しそうでした。

私たち家族が話し合い、
ももが、嫌がらないよう、
ストレスを与えないよう、
辛くないよう、
苦しまないよう、
最善と思われる、
出来る治療はしていました。

この時ばかりは、
もも自身、
どの治療方法をしてもらいたいのか、
動物の心の中が読める、
ハイジさんを通して、
本当に聞いてみたいと切に思いました。

飼い主が決めた、
治療方法で本当にいいのか、
本当に、
悩んで、悩んで、
この日、担当医に、
「先生が飼い主だったら、 どの治療方法を選びますか? 」
と聞こうと思っていたところ、
担当医から、
「ぼくが飼い主なら…」と、
自ら言って下さった、治療方法は、
私たち家族が決めたのと同じ
治療方法でした。

ももの病気に対する治療方法はいくつかあり、
まず、抗がん剤投与する方法で、
(投与の仕方も何通りかあると言う)
そして、抗がん剤は投与せず、
消炎鎮痛剤のお薬を服用させるという方法。

抗がん剤を投与するとなると、
投与スケジュールに合わせて、
病院に通い、
投与の間、ももは数時間、病院に預ける形になるという。

しかし、
ももの病気には、抗がん剤が効きにくく、
すこしだけ延命する治療だと言われていました。

そこで、家族で話合った結果が、
抗がん剤は投与せず、
リマダイル錠という、
201901リマダイル錠
消炎鎮痛剤のお薬を投与して、
すこしでも炎症を抑えて、痛みをコントロールしてあげつつ、
気休めかもしれないけどと、
担当医の先生が仰っていた、
D‐フラクションという、
201901-D-フラクション
マイタケから抽出したエキスを含有している
サプリを合わせて、投与する方法にしました。

その方法にした理由は、
担当医が下さった、
ももの病気についての詳しい資料によると、
これまでの症例で、どの治療方法でも、
完治することは難しいとのことだったので、
ももの場合は、
(だいたいの余命宣告は受けていたが)
実際、どのくらいの闘病期間になるかわからないが、
なるべく、少しでも、
頻繁に病院に預けたりすることはせず、
家族が、ももと一緒にゆっくりと過ごす時間を確保したい、
という、
主に、看病を担当する、私の意見に、
最終的に、家族が同意する形になりました。

勿論、担当医は、
『いろいろな飼い主さんがいらっしゃいますから』
と前置きしながら、
『最終的には、飼い主さんが決めた方法が一番です』
と仰いました。



そんな日々を過ごしつつ、
1月25日に、
その10日前に娘とももと出かけた、
市谷亀岡八幡宮で申し込んでいた、
ペットの彫り札お守りが
郵送で届きました。

表には、
市谷亀岡八幡宮ペット御守護 と、
裏には、
病気平瘉祈願
私のフルネームとももの名前が彫られてます。

今のこの治療方法を
信じよう!と、この時、
そう心に決めていた私たち家族なのでした。

この続きは、『ももとの別れ5』へ。
[2020/06/11 00:00] もも | トラックバック(-) | CM(0)

『ももとの別れ3』 

2019年1月11日、
衝撃的な診断を下されていても、
ももは、元気そうにしていました。

ももが年末に体調崩して以来、
手術を経て、
担当医からは、気晴らし(わんこも人も)に、
軽めのお散歩はOKとのことで、
抜糸後、初のお散歩へ
娘とともに、うちの近所をブラブラと。

体調崩す前と変わらず、
テッテケ、テッテケ、
元気よく歩いていました。

先日言われたことが、
本当なの??
と、思ってしまう位、
軽快な足取りなのでした。

久しぶりだから、
短めに切り上げたかった、
私たち母子でしたが、
もっともっと~と、グイグイ引っ張るもも。

あの時、
あぁ、神様、この間の診断は、ウソでした~!
と言って下さい、
と、何度思ったことか…。

神様…と言えば、
毎年のお正月に私の実家に帰省した際は、
私の実家近くの神社へ、
ももと一緒に
お参りしていたのですが、
数年前から、
『犬とのご参拝はご遠慮下さい』との
看板が立ち、
ももは一緒にお参り出来なくなり
数年は、
ももだけお留守番でした。

ももが体調を崩してから、
たまたま、
ペットショップで頂いた月刊誌に載っていた、
東京の市ヶ谷にある、
市谷亀岡八幡宮が、
わんこに縁があり、
わんこと一緒に参拝できる神社と知り、
すがる思いで、
ももの病気平癒を祈願するため、
1月15日、
娘と一緒にももを連れ、
電車に揺られ、お参りに行きました。
20190115市谷亀岡八幡宮行き2 20190115市谷亀岡八幡宮

ペットの彫り札お守り
の申し込みと、
犬おみくじも引き、
20190115市谷亀岡八幡宮行き5

絵馬も娘に
書いてもらいました。

『ももの病気が 少しでもよくなり、
一日でも長く
私たち家族と一緒に
いられますように。
苦しむことなく、
明るく元気に楽しく
毎日を過ごせますように。』
と。

そして、お参り後、
娘が調べておいてくれた、
テラス席なら、わんこOKのお店が
お茶の水にあるとのコトで途中下車。

そのお店は、
20190115市谷亀岡八幡宮行き3
『Restaurant1899 Ochanomizu』と言う、
和食のお店で、
20190115市谷亀岡八幡宮行き4
私は限定ランチの牛ステーキ(画像手前)、
娘は、鯛茶漬け(画像奥)、
どちらも、とても美味しく、
お店の方も
とても感じが良かったデス。

そういえば、
市谷亀岡八幡宮をお参りした際、
足を踏み入れた途端、
空は晴れていたのに、
ポチポチポチポチと雨が降りました。

天気雨、
所謂、
狐の嫁入りです。

あの後、帰って来てから、
何だか気になって、
調べてみたら、
『狐の嫁入り』は、
縁起が良いらしいということがわかり、
しかも、
神社にいる時に、
雨が降ってくるのは
「禊」(みそぎ)であると解釈され、
縁起がよい兆し
と書いてありました。

過度に期待し過ぎず、
適度に、
良いことだけを信じて、
一瞬一瞬を大切に。
それまで、
当たり前に行っていた
毎日のももの散歩も、
あの時は、一日一日が
とても貴重なモノに感じてなりませんでした。

道行くわんちゃんたち、
その飼い主さんたち、
交わす言葉も、
わんこ同士の挨拶も、
飼い主さんが、
うちのももを撫で撫でして下さり、
うちのももが嬉しそうに
ちぎれんばかりに
しっぽブリブリしている姿。
すべてに感謝して、毎日を過ごそうと、
あの時、誓っていたのでした。


でも、残念なことに、
これが、病院以外の、
ももとの最後のお出かけとなったのでした。

この続きは、『ももとの別れ4』へ。
[2020/06/04 00:00] もも | トラックバック(-) | CM(2)

『ももとの別れ2』 

例年なら、年明けとともに、
完全防寒して、
ももと一緒に、近所の神社に初詣に行くところ、
2018年の大みそかは、
術後だったももは、お留守番させ、
人間だけで、近所の神社へ。

この時は、
まだ、ももの病名がはっきりとわかっていなかったので、
とにかく、一日でも早く、
ももの病気がよくなりますようにと、
神様にお祈りしたのでした。

そして、年が明け、2019年を迎え、
術後より2週間後の1月11日、
抜糸とともに、
病理検査の結果を聞きに行きました。

実は、術後の説明で、
悪性の可能性が高い
と言われていたので、
ある程度は覚悟はしていたものの、
その前日の夜は、
なかなか寝付けず
当日も、
病院への足どりが非常に重く
診察待ちの時間が
いつもより、やたら長く感じました。

聞かされた結果が
予想を遥かに超えて
良くないものだったので
予想以上に
私たち家族は落ち込みました。

ももにとって、
何が最善なのか、
家族で話し合いました。

ももはとても賢いコ、
だから、私は、
ももの前では
泣かないようにしていました。

だけど、
トイレ、お風呂、
キッチンに1人立った時、
いつも涙がドドーっと溢れていました。

泣いても何も解決しない。

カウントダウンが
始まってしまった以上、
そこからをどう過ごすか、
そして、
ももの精神力と生命力と奇跡を、
あの時は、信じるしかなかったのです。

この続きは、『ももとの別れ3』へ。
[2020/05/28 19:18] もも | トラックバック(-) | CM(0)

『ももとの別れ1』 

ももが10歳を過ぎた頃から、
いつも元気にはしていたけど、
いつかは訪れる、ももとの別れの後の自分の姿を想像し、
きっと自分はペットロスになるだろうから、
その先の自分の人生をどのように生きるかを
常に考えるようにしていました。

丁度そんな頃に、
このブログにも以前書いたコトある、
結婚した頃に、体調を崩して辞めてしまった職場の同僚が
娘がまだ小さい頃、
たまたま結婚して、うちの近くに越して来て、
うちのご近所さんなのですが、
その彼女が一昨年の2月の終わり、
私に、
『お願いがあるのだけど…』
と私を訪ねて来ました。

よくよく話を聞くと、
彼女のパート先で、託児室の人出が足りないので、
ヘルプとして働いてみない?
というお話でした。

確かに、以前、彼女と一緒に働いていた職場は、
子供と接する仕事でもあったし、
ももの散歩をしていた際、
彼女とよく出くわすことがあり、
パート先の店長さんに、
誰か、働ける人いない?
と聞かれ、
velvetroseさんがいるじゃない!!
と、私に白羽の矢がたったようでした。

体調を崩して、仕事を辞めてから、
25年の月日が流れ、
外に出て、働くというコトに少し自信はなかったのは事実ですが、
ここで、自分を変えなくては!
と、一念発起、そのお仕事をお請けしようと、
一昨年の3月より、働くコトが決まりました。

その当時、娘も大学2年生の終わり、
子育てもひと段落ついていたし、
逆に、
私の方が、いろいろと娘に助けてもらうコトもたくさん増え、
久しぶりのおチビちゃんたちとの触れ合いは
実に可愛く、新鮮で、楽しかったデス。

ただ、託児室のヘルプという身なので、
最初から、
仕事は不定期だし、ない時もあるし、
また、急に仕事が入ったりすることもあるけど…、
という条件付きではあったので、
ガツガツ働くというよりは、
久しぶりに社会に出て、
働いて、お給料を頂くというコトに
身体を慣らす、という点では、
とてもよい職場でした。

ところが、その託児室は、
そこで働くママさんの幼稚園に入る前のお子さんを預かり、
託児料が無料だったので、
預けるお子さんはたくさんいたのですが、
昨今の、幼児教育・保育の無償化が騒がれ始めてからは、
そこに預けて働こうという、若いママさんは
減ってきてはいたそう。

働き始めて、始めて迎えた春休み期間、
いつもお預かりしているおチビちゃんに加え、
幼稚園や小学校に入ったきょうだいもお預かりするので、
とても賑やかでした。

新年度を迎えると、
またおチビちゃんたちだけになり、
そして、また夏休み期間になると、
賑やかに。

そうして日々を過ごしてきたところ、
一昨年のX'masの日、
昔、私が作った、X'mas用のドレスを久しぶりに引っ張り出し、
ももに着せて、お散歩に行きました。

そして、帰宅した、夫や娘が、久々にX'masの洋服を着たもも見て、
「うわぁ~、可愛い♪」
と、バシバシ写真を撮りまくり!!

20181225momo1.jpg 20181225momo2.jpg
『わたちのお顔、だいぶ白くなったでちょ?』

その後、夜のご飯出しても食べず、
何だか、急に元気がなくなり、時々、ブルブル震えたり、
「どうしたんだろうね。」
と、家族で心配するも、
翌朝、なかなか起きて来ず、
まぁ、最近、年のせいか、
ゆっくり寝ていることも多いにしても、
いつもなら朝ごはんを出したら、起きてくるのに、
なかなか起きて来ない。

起きて来てもご飯を食べてないから
ウンチが出ないのはわかるけど、
おしっこもしないので、
その日の午後の診察に
かかりつけの病院へと
連れて行くことに。

胃腸の調子が悪いくらいで、
お薬もらって帰れるだろうと、
軽い気持ちで受診。

食欲不振、ウンチもおしっこも出ない、元気がない、
と、ざっくりとした症状なので、
血液検査、レントゲンのほか、その他必要な検査するかもと言われて、
ハイハイ。と2つ返事でお願いし、
しばらく待ち、再び、診察に呼ばれ、
下された診断が、お腹の中に腫瘍があり、
そこから出血し、腹水も溜まっていると言う、
何ともショッキングな結果でした。

画像の診断だけでは、モヤッとしていて、開腹してみないと、
臓器の特定が出来ないが、最初、右の副腎辺りを疑われ、
しかも、腫瘍の大きさが大きく、
副腎の側には太い血管があり、非常に危険な手術となり、
助かる見込みは50%、
手の施しようがないなら、
そのまま閉じます、
もしくは、このまま、何もせず……、とかなんとか、
もう、その場で、気を失いそうなコトを沢山説明されましたが、
幸いだったのは、
大概、いつも、私が1人で
そのかかりつけの病院に連れて行くのですが、
たまたま、夫も娘も休みで皆一緒に行ったのは、
本当に心強かった。

結局、私たち家族は、開腹して頂くよう、同意書にサインをし、
先生方にももを託しました。

20181226momo1.jpg
『母さん、わたち、何されるの??』

その時に、娘が号泣しながら、撮ったのが、
この写真デス。

私は、何度も何度も、ももの顔を手で包み込み頬擦りして、
お尻やしっぽをいとおしく触り、
絶対に、私たち家族の元に戻って来るのよ!と、
アイコンタクトして、涙をグッとこらえて見送りました。

私たち家族は、一度家に帰され、だいたい、手術時間は、
2~3時間、手の施しようがなければ1時間くらいとのコトで、
夕飯の時間に差し掛かる時間になり、
受診する前は、こんなコトになろうと思わず、
すぐ帰れると思っていたので、
夕飯の支度のコトなど全然考えていなかった上、
する気もおきないし、でも、
どちらにしろ、何か食べなくてはと、
何か連絡があるといけないので夫には家に居てもらい、
私と娘とで、ほか弁を買いに。

娘がずっと泣いてるから、逆に、私はしっかりしなきゃと、泣かずに済んだ。

でも、ほか弁を買って帰り、食は進まないけど、
ボソボソとお弁当を食べ始めたら、涙がじわっとわいてきて、目尻から一粒の涙が。

亡き母の遺影に、まだそちらに連れて行かないでとお願いした。

どうにかお弁当を食べ終え、
手術開始予定時間から一時間半たった頃、
家の電話が鳴り、家族皆の緊張が走る。

私は、深呼吸をしてから、受話器を取り、
かかりつけの病院からの連絡に応対すると、
手術は無事成功し、麻酔からも覚めてます、
結局、腎臓に腫瘍が見つかり、
他の臓器にも癒着を起こし出血していて、
右の腎臓と尿管を摘出しました、
詳しくは、直接お話しますので、取りあえず来院下さい、
とのことで、一命を取りとめることが出来、
また家族3人で病院に向かいました。

向かう途中、娘は言った。
「試練を与えてくれたんだね」と。

2日後、ももはひとまず退院し、
病理検査の結果は2週間程かかるとのコトで治療は保留。
痛々しい傷跡と朝晩8日間の抗生物質投与は本当に苦労したけど、
年末年始を一緒に過ごせて、本当に幸せでした。

その後、ももの闘病が始まることになり、
この頃、丁度、託児室の仕事も、
子供が減ってきてしまっていたので、
私の出る幕は減り、
長期間、お休みさせて戴き、
ももに寄り添い、
ももの病と闘う日々を送ることができました。


この続きは、『ももとの別れ2』へ。
[2020/05/21 12:20] もも | トラックバック(-) | CM(3)